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アン・サリー 「蘇州夜曲」 (アルバム:ムーン・ダンス)



今回はアン・サリー「蘇州夜曲」(Album『moon dance』)をご紹介します。

戦争へ傾く中、服部良一が中国で息抜きをした時にできた傑作


本日の☆おすすめ
■アーティスト名:アン・サリー
■アーティスト名カナ:Ann Sally
■曲名:蘇州夜曲
■アルバム名:moon dance
■アルバム名邦題:ムーン・ダンス
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■音楽ジャンル:ジャズ
■期待効果:呼吸が深くなります

この曲を聞いてみたい!
アン・サリー「蘇州夜曲」
曲名をクリックすると動画サイトで視聴できます★Click Song Title★

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アン・サリー「蘇州夜曲」Album『ムーン・ダンス』レビュー


この曲は知っている人も多いのではないでしょうか。

時々ふとした時に、あちらこちらから流れてきます。ただ誰か特定の人が歌っているという感じではありません。そこでこの曲のウィキペディアを検索してみました。

この曲ぐらいになると、この曲のウィキペディアがつくられているのではないかと思ったら、思った通りありました。

そこにカバーした歌手一覧が出ています。リンクを貼っておきましょう。

蘇州夜曲 Wikipedia

数えてみたところ、現時点で43人がカバーしているようですが、おそらくそれでも全てを網羅しきれていないと思います。

数えきれないほどの多くの人が、数えきれないほどのバージョンで歌っているという感じがします。

ちなみに歌っている人の傾向を見るとやはり女性歌手が多くて、中には戸川純やUAという意外な名前もあったりします。男性では小田和正など、いかにもこの曲が似合いそうな人もいますが、奥田民生の名前もあったりします。

それともう一つ気づいたことがありました。カバーした年をみると、意外と最近にカバーされているものが多いように思います。

李香蘭(山口淑子)が映画「支那の夜」の中で劇中歌として歌ったのが1940年ですので、もう少しで80年が経過したことになります。

しかしウィキペディアを見ると、1990年以前は43カバー中で8つしかありません。つまり残りの35カバーが1990年以降ということになります。

この曲は近年でも夏川りみや高畑充希が歌っていて、最近ではその印象が強いかもしれません。



当時の歴史を振り返って


さて次にこの日本版スタンダードナンバーとでも言えそうなこの曲がつくられた時代について、少し触れておきたいと思います。

この曲が映画の中で歌われたのが1940年(昭和15年)6月です。

真珠湾攻撃が1941年12月8日ですから、この曲が歌われたのは太平洋戦争の少し前ということになります。

当時は日中戦争のさ中で、日本は中国の蘇州を支配下に置いていました。蘇州は上海の少し内陸寄りの場所にあります。

この曲が使われた映画「支那の夜」は、日本人男性と李香蘭演じるヒロインによる恋愛映画で、日本が中国を支配することを正当化する国策映画と言われています。

当時李香蘭は大変な人気がありました。写真を貼っておきましょう。

Li_Xianglan.jpg

しかし一方でこの映画は、恋愛をテーマにしていて通常の国策映画とは趣きが違う為、検閲逃れのために国策映画の体裁をとっていただけという説もあるようです。

当時は国策映画ではない、普通の映画をつくることができなかったのでしょう。

そこに音楽を提供したのが、戦中戦後の日本のポピュラー音楽に大きな功績を残した服部良一です。服部良一はジャズを自分の音楽的基盤にしていました。

つまり当時の日本人としては、西洋かぶれだったわけです。

服部良一は当時中国への軍の慰問団に加わった時に、上海で大きな衝撃を受けます。当時の服部良一は次のように感じたそうです。

確かにジャズも盛んだったが、上海には上海なりの独自の音楽があり、その方が外国人にも評判がよかった。
日本のジャズは世界にも通用する。
自分も世界に通じる可能性がある。そんな思いが駆け巡った。

「それがぼくの『蘇州夜曲』です。ぼくは、アメリカのジャズの物真似ではない、日本のジャズ、東洋のジャズを
 作りたいとずっと考えてきました。それがぼくたち若い者の使命だと信じて仕事をやってきました。
 『蘇州夜曲』は、アメリカのスウィート・ジャズと、中国のイメージと、日本人の感覚とをミックスさせたもので、
 ぼくのイメージの中には上海の強烈な印象がありました。

「蘇州夜曲 誕生物語・1」 服部良一初めての中国 - livedoor Blog


異国の地で自分が日本人であることを強く意識した経験は、私にもあります。

こういう歴史を知ると、この曲が日本だけでなく東洋的な普遍性のあるメロディが生まれた理由が、なんとなく分かる気がします。



この曲のどこがすばらしいのか


さて曲を聞いていきましょう。

この曲は多くの人にカバーされていますが、このバージョンは決定版ともいえる出来です。

アン・サリーはウィキペディアではJPOPに分類されていますが、私には違和感しかありません。この人はジャズに分類すべきだと思います。

強いていえば、スムースジャズに分類した方がしっくりくる人だと思います。

まずこの曲はイントロからピアノの響きがとても美しいです。

そこにアン・サリーのふくよかなボーカルが乗っかりますが、この歌は上手いとか上手くないではありません。

もちろん歌が上手いことは間違いないのですが、歌が表現しているのはふっくらした日本的、もしくは東洋的な包容力のある世界です。

感情ではなく情感という感じで、詩情豊かな歌の世界を表現しています。

歌を解釈する感受性が優れていると思います。

この曲が生まれた時の服部良一の感覚が、この曲にも色あせず息づいていることに、改めて驚いてしまいます。おそらくそれは時間の経過ぐらいでは、色あせない類のものだと思います。

服部良一とアン・サリーの出会いが、豊かな音楽世界をつくり出すことに成功しています。

さてもう一度、この曲が発表された当時を時系列で整理してみましょう。

1938年3月  服部良一が慰問芸術団として中国を訪問
1939年9月 ドイツ軍がポーランドに侵攻 (第二次世界大戦勃発)
1940年春  服部良一が中国再訪し、この曲を書き上げる
1940年6月 「支那の夜」開演
1940年9月  日独伊三国条約を締結
1940年10月 アメリカが日独伊三国同盟に対する対抗措置を表明
1941年12月 真珠湾攻撃 (太平洋戦争勃発)

日中戦争が長期化し、太平洋戦争へと戦火が広がる少し手前の閉塞した空気の中で、服部良一が上海の新しい空気を吸い込んだほんのひと時に生まれた曲です。

もう来年で曲が発表されてから、80年が経過します。

音楽は次から次へと新しいスタイルを生み出してきましたが、こんなに変わらず価値を保つことができるものでしょうか。

長い年月を通過してなお価値を増すこの曲は、忙しい毎日の中で、ほっとしたい時に聞くといい曲だと思います。

聞いていると自然に呼吸が深くなります。

引き続きこのアルバムのAmazonレビューを読んでみたい方や、ご購入をお考えの方は、下のリンクからお進みください。


ムーン・ダンス




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