「素の自分を表現した赤毛のアン的な名曲」
今回はキャロル・キング「なつかしきカナン」(Album『喜びは悲しみの後に』)をご紹介します。
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■アーティスト名:Carole King
■アーティスト名カナ:キャロル・キング
■曲名:Been to Canaan
■曲名邦題:なつかしきカナン
■アルバム名:Rhymes & Reasons
■アルバム名邦題:喜びは悲しみの後に
■動画リンク:Carole King「Been to Canaan」
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キャロル・キング「なつかしきカナン」(アルバム:喜びは悲しみの後に)ディスクレビュー
こんにちは。おとましぐらです。(プロフィールページへ)
音楽界のレジェンドをご紹介いたします。私の中では、キュリー夫人の隣に並べてもおかしくないぐらいの人です。
ただそんな人であっても、広く聞かれているとは限りません。
このアルバムは1972年発表の4枚目のソロアルバムです。
この曲はシングルチャートでは24位止まりであったものの、アルバムは2位にまで上がっています。
アルバム単位で自分を表現できる、この人らしいチャートアクションです。
ただこの曲のようにシングルカットされていても中ヒットぐらいの比較的地味な曲は、ある一定の層以上から先にはなかなか広まらない場合があります。
彼女は1942年生まれですから、この頃は30歳頃ということになります。
この人は早熟な人でしたから、この頃にはもうベテランの貫禄さえ感じます。
ユダヤ人としてのアイデンティティを表明したアルバム
この曲は曲名を直訳すると「カナンに行ったことがある」という意味で、カナンというあこがれの地について歌われています。
いつ行ったかは忘れてしまったけれど、あのカナンにもう一度行きたいという内容です。
カナンとはどういう場所でしょうか。ウィキペディアから引用しておきましょう。
神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地であることから、約束の地とも呼ばれる。
ユダヤ教は神が約束してくれたカナンという「約束の地」に帰ることが、教えの重要な位置を占めている宗教です。
キャロル・キングはユダヤ系移民の子孫です。
ユダヤ人のミュージシャンは大変多く、ボブ・ディラン(Bob Dylan)、バーブラ・ストライザンド(Barbra Streisand)、ポール・サイモン(Paul Simon)、アル・クーパー(Al Kooper)など名前を挙げるとキリがありません。
ただ多くの人は隠していないにしても、それをおおっぴらに派手に打ち出していません。
日本ではピンときませんが、アメリカではユダヤ人が偏見で見られることがあって、あまり良いイメージで見られないことがあるようです。
私から見たら、アメリカ人はアメリカ人ですけどね。
背景には宗教的な問題もあります。ユダヤ人の多くは移民後もユダヤ教を信仰していることが多いようです。
ビリー・ジョエル(Billy Joel)などはユダヤ系アメリカ人なのに、カトリックの家で育ったことで疎外感を感じたことが、音楽への道に進んだ理由になっているぐらいです。
逆にいうと、ユダヤ系アメリカ人であればユダヤ教を信仰していることが当たり前の環境だったということです。
キャロル・キングもユダヤ教を信仰している可能性が高いと思われます。
さてなぜこんな背景を書いたかというと、このアルバムのジャケットです。
横顔のアップですよね。普通に考えると、横顔の写真にすると目立つのは鼻です。
一般欧米で広く知られているにユダヤ人のステレオタイプのイメージは、鼻が大きいというものです。
鼻が大きいというだけで、あの人はユダヤ人ではないかと言われてしまう人もいるようです。
このジャケットではわざわざアップで横顔の写真を使っています。
そして唯一のシングルカットした曲が、ユダヤ教の約束の地であるカナンに還りたいと歌う曲です。
私はユダヤ系アメリカ人ですがどうかしましたか、という感じですよね。
これ以上アピールするとレコード会社からストップをかけられかねません。
そもそもこの人はこういう人です。
彼女の有名なヒット曲「ナチュラル・ウーマン((You Make Me Feel Like) A Natural Woman)」でもありのままの自然な女性でいることの喜びが歌われています。
キャロル・キングが自分のルーツを隠そうとしないことについては敬意を表したいと思います。
ただ宗教的な色彩が強いとあまり興味がないという人もいるかもしれません。
歌詞について
ただこの曲ではもう少し一般的な感情が歌われているように思います。
一節を少し分かりやすくして、翻訳してみましょう。
私は自分自身に満足しているけれど、
時々どこか別の場所に行きたいと、とても強く思うことがある
私は私ができることをやるわ
しかし日々様々なことを要求されている
私たち誰しも、約束の地のようなものが必要なのでしょう
日々のあわただしさに忙殺される中で、ふと素の自分に返った時に、ふとどこかに行きたいどこかに帰りたいと感じる感覚が歌われています。
最後の行では、きっとみんなそうではないかという感じで一般的な話にしています。
私はこの曲は、素の自分を探そうと試行錯誤しようとしている人に向けての曲だと思います。
この曲のどこがすばらしいのか
さて曲を聞いていきましょう。
まずイントロのピアノが心地よく鳴り響きます。
その後キャログ・キングの歌が始まります。
この人の声は少し鼻にかかったところもありますし、声だけでいえば決して美声とは言えません。
トレーニングでつくりあげた声でもありません。
しかしそれは紛れもなく30歳女性の素の声です。
少し毛羽立ったセーターや少しシワが出てきた顔、そういうほんの少しのほころびから見えるリアルで等身大の自分が映し出されています。
そもそもシンガーソングライターの声とはそういうものではないでしょうか。
演奏ではコンガが目立ちまくっています。
この人がコンガを入れるのはニューソウルから影響を受けていると思います。
その件は長くなるのでまた書きたいと思いますが、ここでもしっとりした曲に柔らかなグルーヴ感を加えています。
それ以外の演奏では、出だしのピアノソロが終わった後、わずかな時間に入るベースが秀逸です。
このベースを弾いているのは当時の夫であるチャールズ・ラーキー(Charles Larkey)です。
まだ結婚して2年ぐらいの時期で、きっと幸せだったのではないでしょうか。
この時期の彼女は幸せだったのではないかと思われる曲が多く、無敵な感じがします。
だって次のアルバムなんかは「喜びにつつまれて(Wrap Around Joy)」というタイトルですからね。
しかしそれは色々あったことを通過した後に得た幸せだと、この曲は示唆してくれています。
この曲でのキャロル・キングは、素の自分に立ち返った赤毛のアン的な魅力があると思います。
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