「生命力あふれるアフリカンビートとHIPHOPの融合 こんなに元気が出る曲はありません!」
今回はハービー・ハンコック「コール・イット95」「ディス・イズ・ダ・ドラム」(Album『ディス・イズ・ダ・ドラム』)をご紹介します。
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■アーティスト名:Herbie Hancock
■アーティスト名カナ:ハービー・ハンコック
■曲名:Call It ’95、Dis Is Da Drum
■曲名邦題:コール・イット95、ディス・イズ・ダ・ドラム
■アルバム名:Dis Is Da Drum
■アルバム名邦題:ディス・イズ・ダ・ドラム
■動画リンク:「Call It ’95」「Dis Is Da Drum」
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ハービー・ハンコック「コール・イット95」「ディス・イズ・ダ・ドラム」(アルバム:ディス・イズ・ダ・ドラム)ディスクレビュー
こんにちは。おとましぐらです。(プロフィールページへ)
今回はHOPHOPバージョンのハービー・ハンコックを取り上げます。
このアルバムは全編ストリートミュージックという感じで、久々の快作でした。
名作が多いこの人の中でも、私はトップクラスに好きなアルバムです。
ただこの前までは、出すアルバムがマンネリになってきたなと思っていました。
正直もうこういうサウンドをやる人であることは分かっているんだけどなと惰性で買っていました。
聞いたら予想を大きく上回る出来で、たいへん驚いた記憶があります。
ちなみにハービー・ハンコックは1940年生まれですから、今年で79歳です。
1940年といったら、第二次世界大戦の真っ最中です。
なにしろこの人が生まれる1か月前は、ヒットラーとムッソリーニが会談をしていますからね。
ちなみに日本人の有名人では、津川雅彦さんが1940年生まれです。
このアルバムは1994年に発表されていますから、54歳の時の作品です。
実際このアルバムが発売される前には、かなりブランクが開きました。
このアルバムは彼の39枚目のアルバムです。
彼がファーストアルバムの「テイキン・オフ(Takin’ Off)」を出したのが1962年ですから、このアルバム発売の1994年まで32年間です。
32年で39枚アルバムを出しているということは、並大抵のことではありません。
ちなみにこの人のアルバムはジャズアルバムであっても、ふらっとスタジオに入ってピアノを弾いて終わりみたいな、ラフなものはあまりありません。
基本的につくりこんでいるアルバムが多くて、しかも多彩なジャンルの音楽に挑戦しています。
音楽的才能だけでなく、アイデアの豊富さ、自由な発想、いつでも最高の演奏を聞かせられる安定性、演奏する音楽に合わせたミュージシャンをコーディネイトする力、そういう様々な力がなければ難しいでしょう。
私がこの人の音楽を追いかけてきて思うのは、挑戦し続けてきたということです。
この人の画期的な作品は、有名なものだけでもたくさんあります。
知名度が低い中にも「エムワンディシ(Mwandishi)」「クロッシングス(Crossings)」「セクスタント(Sextant)」の三作などは傑作です。
あまり有名ではありませんが、初めて聞いた時は驚きました。
快進撃を続けてきたハービーの足が止まった
ただ私は1984年の「サウンド・システム(Sound-System)」ぐらいから、良いアルバムである一方で、マンネリ化が始まったような気がします。
しかも時代の先端を走っていたはずなのに、あっという間に追い付かれてきたように思いました。
ハービー自身もそれを感じていたかもしれません。
1988年の「パーフェクト・マシーン(Perfect Machine)」で、ずっと走ってきた彼の足が止まりました。
実際に「パーフェクト・マシーン」は製作途中で行き詰まり、完成しないままレコード会社が発売したという、いわくつきの作品です。
平均1年に1枚以上のペースでリリースしてきた彼が、次の作品を発表するまで6年のブランクを開けました。
もうお金は使いきれないほどあるでしょう。名声と名誉も手に入れました。
若者の音楽であるHIPHOPにおいて、40代半ばまで活躍してきました。
もう落ち着いてもいい頃だと考えてもおかしくありません。
しかし1991年9月28日に彼を動かす事件が起こります。マイルス・デイビス(Miles Davis)の死です。
マイルスは無名のハービーをバンドに入れて、一流ミュージシャンに育ててくれた恩人です。
マイルスは1991年、最後のアルバムを発表してから亡くなります。
最後のアルバムは「ドゥー・バップ(Doo-Bop)」というHIPHOPのアルバムです。
私はこのアルバムを聞くとなんともいえない気持ちになります。内容はあまりよくありません。
しかしこの時マイルスは65歳だったのです。
65歳の男が若者文化の筆頭であるHIPHOPをやったこと自体、無理があります。
しかし矛盾するようですが、マイルスほどの巨大な才能を持った人の場合、時には凡人には出せない作品になることがあります。
ヘロヘロで低品質なHIPHOPであるけれど、どこか不思議と凡人の傑作に勝るところがあります。
私はマイルスが最後まで前のめりだったことに、心打たれる気持ちになります。
マイルスの死はハービーを動かしました。時系列で整理しましょう。
1988年 Perfect Machine発表
1991年 マイルス・デイビスの死
1992年 マイルスの追悼アルバムを録音(発売は1994年)
1993年 このアルバムの制作開始し、翌年発表
1994年 6年ぶりのアルバムを発表
1988年に足を止めたハービーは、昔のマイルスバンドの仲間と一緒に「マイルス・デイヴィス・トリビュート(A Tribute to Miles)」を発表します。
その次作がこのアルバムです。1996年に発表した「ニュー・スタンダード(The New Standard)」も大変な意欲作でした。
私はマイルスの死がハービーにとって一つの転機になったのではないかと思っています。
この2曲だけでも分かって頂けると思いますが、マンネリ気味だった彼が、完全復活しています。
この曲のどこがすばらしいのか
さて曲を聞いていきましょう。
まず「コール・イット95」は冒頭にステートメントが入ってから、HIPHOPっぽいドラムが入ります。
そのドラムにハービーのピアノが乗っかります。
そこにうねるようなベースラインが加わります。
この強力リズム隊にハービーのピアノが軽く乗っているだけで、とてもかっこいいです。
その後ハービーに負けないマイルス・デイビス大好きな男、ウォレス・ルーニー(Wallace Roney)のトランペットが入ります。
この人はマイルス・デイビスに演奏がそっくりと言われすぎてかわいそうですが、トニー・ウィリアムス(Tony Williams)のバンドでの演奏を聞くと、その枠だけで評価できないと思います。
まあただここでの演奏は、晩年のマイルスを思わせるものですけどね。
この曲は明らかにリズムを聞く曲です。当時90年代のヘッドハンターズ(Head Hunters)と呼ばれましたが、確かにそれも分かります。
こんなうねるビートに、力の抜け具合がすばらしいピアノが乗っかります。
そこには気負いもありませんし、純粋にピアノを弾く喜びに満ちています。
絶対に笑顔でピアノを弾いているでしょうね。
「ディス・イズ・ダ・ドラム」の方はタイトルの通り、こちらも同じくリズム主体の曲です。
ただ汎ブラックミュージックの香りがする点が、先ほどの曲と違うかもしれません。
この曲は休養中に参加していた数少ない音楽活動である「バイーア・ブラック(Bahia Black)」の影響があると思います。
盟友ビル・ラズウェル(Bill Laswell)が主催したプロジェクトですが、ブラジルの天才カルリーニョス・ブラウン(Carlinhos Brown)などが参加した、とても刺激的なアルバムでした。
そのプロジェクトでハービーはピアノを弾いていました。
ここでの音楽は、その成果を持ち帰ったのだと思います。この曲にはバイーアの生命力あふれる音楽の影響がみてとれます。
こちらではハービーはキーボード主体です。
こちらではとてもグルーヴィーなフレーズを連発しています。
元々極度に演奏の波が少ない人ですが、この曲での彼の演奏は絶好調です。
少しフレーズが「フューチャー・ショック(Future Shock)」のような時代を感じさせるところもありますが、すばらしい演奏であることは間違いありません。
この曲の鳥肌ポイントは2:17から一瞬リズムが活性化するところです。
共同プロデュースのビル・サマーズ(Bill Summers)も、こういう音づくりが得意な人でしたから、貢献度が大きいかったかもしれません。
そういえばHIPHOPもバイーアの音楽も元々はストリートの音楽でしたね。
ここでのハービーは、再び街に出てきたような感じがします。
ハービーが創価学会員として書いた本
ちなみにハービー・ハンコッがが創価学会員であることは有名ですが、以下のような本も出しています。
私はこの本を読んでいません。この本でtenryuさんという方のAmazonレビューを引用します。
そのブレイキーの発した印象深い言葉としてショーターは「心で演奏すること」と紹介している。ハンコックも師匠のマイルス・デイビスの言葉「自らを恃む強さを持て。それがあれば、自分を内面から支える芯ができる」と教えた。
自分を恃むとは、すなわち己を信じること。これは心で演奏することを重視したブレイキーと同じなのだ。
私は創価学会の会員ではありませんし、おすすめすることもありません。
ただハービーがマイルスから精神面で教わったという事実に反応しました。
アスリートやミュージシャンは、トップレベルになればなるほど、メンタルが大切です。
おそらくハービーはマイルスの最後まで前のめりな姿を見て、何か考えさせられたのではないかと思います。
今回ご紹介した曲は完全復活後の快作です。ハービーの精神面の充実ぶりをうかがわせる大傑作だと思います。
ただその快調ぶりはこのアルバムだけではありません。
復活してからのの彼は、次の世代を意識したアルバムを発表しています。その後彼が発表したアルバム名を挙げておきましょう。
1996年 ニュー・スタンダード(The New Standard)
2001年 フューチャー・2・フューチャー(Future 2 Future)
2005年 ポシビリティーズ(Possibilities)
2010年 イマジン・プロジェクト(The Imagine Project)
明らかに未来に目を向けています。ハービーは次の世代を生きる人の背中を押そうとしているのではないでしょうか。
マイルスの死でよみがえったハービーによって、今度は我々が元気をもらえるような気がしてしまいます。
引き続きこのアルバムのAmazonレビューを読んでみたい方や、ご購入をお考えの方は、下のリンクからお進みください。