「フランソワーズ・サガンの世界に別れを告げた小島麻由美の人間宣言」
今回は小島麻由美「一緒に帰ろうよ」「私の運命線」(Album『さよならセシル』)をご紹介します。
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■アーティスト名:小島麻由美
■曲名:一緒に帰ろうよ、私の運命線
■アルバム名:さよならセシル
■動画リンク:「一緒に帰ろうよ」「私の運命線」
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小島麻由美「一緒に帰ろうよ」「私の運命線」(アルバム:さよならセシル)ディスクレビュー
こんにちは。おとましぐらです。(プロフィールページへ)
この人は当時、本当に才能の底が見えませんでした。
もちろんその後もレベルの高い作品をずっと発表していますから、一過性の才能だったと思いません。
ただこの頃の彼女は、まるでドーナツを食べている最中に思い浮かんだようなふぞろいな曲を次々に発表して、リスナーの耳を楽しませてくれました。
当時の彼女はクルクル気分が変わっていく様子があります。
常にあわただしく行動していて、いろいろなことが彼女の頭の中をぐるぐる回っていた感じがします。
その結果生まれた楽曲には、ある一瞬を切り取った天才のひらめきがありました。
それと、この頃の彼女は芝居がかった世界観がありました。
「セシルのブルース」「二十歳の恋」「さよならセシル」という、デビューからの三作は「セシル三部作」と言われています。
曲に彼女の分身のように思えるセシルという女の子を登場させていて、彼女の目から見た世界が描かれていました。
歌詞からセシルの物語を読み取っていくと、まず1作目の「セシルのブルース」では、セシルという女の子のとっちらかった日常を描いています。
勝手気ままに生きている女の子で、どうやら結婚相談所で働いているようです。
しかし次作では、まずアルバムタイトル曲である「二十歳の恋」というインストゥルメンタルがあって、次の「私の誕生日」という曲では、自分の誕生日に新しい服を着て、彼に会いに行く様子が歌われています。
20歳になったセシルは、新しい恋を見つけたのでしょう。
そして今作「さよならセシル」では、そのセシルの世界は完結します。
「さよならセシル」の「結婚行進曲」という曲では、セシルが結婚した時の様子が描かれています。
セシルは無軌道な女の子を卒業し、自由気ままな女の子のままではいられない奥さんになったので「さよならセシル」というアルバム名なのかなと思います。
とっちらかった系の女の子が好きな相手を見つけて、最終的にハッピーエンドを迎えたのですね。
しかしセシルって一体何でしょうか。
セシルの由来について
セシルという言葉で多くの人が想像するのが、フランソワーズ・サガンの小説です。
サガンはフランスの女性の小説家で、「悲しみよこんにちは」というデビュー作が世界的大ヒットになりました。
その小説で出てくる18歳の女の子が、セシルという名前です。
一方セシル三部作は、「セシルの季節 La saison de Cecile 1995-1999」というボックスセットに、三作と未発表曲がすべて収録されています。
その中にその時期の未発表曲「セシルとシリル」という曲が含まれています。
シリルというのは「悲しみよこんにちは」に出てくるセシルの恋人の名前ですから、上記の小説からセシルの名前がとられていることが分かると思います。
フランソワーズ・サガン(Francoise Sagan)の「悲しみよこんにちは(Bonjour Tristesse )」について
一方小説「悲しみよこんにちは」でも、主人公セシルは奔放で勝手気ままに生きています。
小説では父親の恋人にその自由を制限されると猛反発をして、最後は悲劇的な結末を迎えます。
ハッピーエンドではないことについては、サガン自身の考え方が反映されています。彼女はこう言っています。
当時、18歳のサガンはこう言った。
「ハッピーエンドで終わる偉大な小説はありません」
実際にサガンの人生もセシルのようにとっちらかった勝手気ままな人生を歩み、晩年は経済的に困窮し、薬物中毒の後遺症に悩まされ、ついには孤独な死を迎えます。
しかしサガンは自分があまり良い死に方をしそうにないことは、百も承知だったのです。
下の本ではサガンの生き方がご紹介されていますが、その中でサガンの「破滅するのは私の自由です」という言葉が引用されています。
サガンの人生は道徳的には決してほめられたものではないと思います。
しかし不思議と惹かれるところがあるのは、そこに何か決然とした潔さみたいなものを感じるせいかもしれません。
彼女の墓には生前彼女が考えていた墓碑銘が刻まれています。彼女らしい以下のようなものです。
「フランソワーズ・サガン、安らかならず、ここに眠る」
もし自由気ままで自分の文脈だけで生きていたら、サガンのように悲劇的な結末を受け入れる覚悟が必要かもしれません。
私は「さよならセシル」では、そういう世界に分かれを告げて、ハッピーエンドに向けて幸せを積み重ねていこうという、ある種の宣言みたいなものだと思っています。
この曲のどこがすばらしいのか
さて曲を聞いていきましょう。
「一緒に帰ろうよ」ではとても甘酸っぱい世界が歌われています。
学校を舞台に付き合っている2人が、人目を盗んで小さな紙きれを渡して一緒に帰る約束を取り付けたり、学校が終わって友達に誘われても「ごめんね、また今度ね」などと振り切って、彼と一緒に帰ったりしています。
そして昇降口の階段下に座って「私、今幸せ」と言ったりとか、わざとゆっくり遠回りして帰ったりとか、学生時代に陰キャ生活を過ごした人にはうらやましいような世界が描かれています。
演奏ではイントロの口笛の合唱が青くさくていいですね。
この曲は寺谷誠一さんのドラムが、曲の趣旨を理解したすばらしいドラムを披露してくれています。
二ルソン(Harry Nilsson)やランディ・ニューマン(Randy Newman)を思わせるピアノを弾いている鶴来正基さんの演奏も秀逸です。
そして後半に目立つティンパニーとカズーがユーモラスで、聞いていてニコニコしてしまいます。
こういう脇役の楽器の使い方なんかは、本当にセンスがある人しかできません。
ああやっぱり天才なんだと思わされます。
「私の運命線」では、セシルが自分の運命線が短いことを歌っています。
どうしても「悲しみよこんにちは」の内容が思い浮かんでしまうテーマです。
セシルは運命線が短い自分のところに、あの人が迎えにくることを妄想しています。
まさしく曲の題材も「さよならセシル」といった風情の曲です。
曲調は1970年代のヨーロピアンポップといった感じです。
レトロチックなアレンジで、塚本功さんのギターがとてもいい味わいを出しています。
この曲は5分半もある結構長い曲なのですが、この味わい深いギターのソロが、かなり長い時間収録されています。
クレジットではエレキギターと記載されている、塚本氏のギターを聞かせる曲という位置づけだったのだと思います。
その判断は私は正しいと思います。
塚本功さんはピラニアンズで有名な人ですが、他にも私の大好きなボッサ・ピアニキータなど、優れた才能をあちこちにまき散らしている人です。
時々入るチェンバロの響きも、この曲のヨーロピアンな雰囲気を盛り立てています。
「さよならセシル」の後
小島麻由美さんは18歳でデモテープがレコード会社に認められたそうですから、早熟なタイプだと思います。
18歳でデビューしたサガンもそうですね。サガンはとにかく生き急いだ人生を送った人です。
サガンは小説を書きまくり、恋をしまくり、結婚をして子供も産んで、交通事故で瀕死の重傷を負ったり、ドラッグにはまって、そしていつも旅行していました。
人生のブレーキを踏むことを拒んだ人です。
一方小島麻由美さんはこのアルバムまでは3年間で3作と、大変なハイペースで作品を発表してきました。
ただこのアルバムの次作である「My name is blue」までには、3年のブランクが開いています。
セシルの世界、つまりサガンの世界に別れを告げて、彼女は自分の人生をスローダウンさせる方を選んだことになります。
またこのアルバムを発表した時に小島麻由美さんはまだ若干25歳でしたが、初めて自分自身でプロデュースをしています。
これまでは好き勝手やってきたけれど、これからは大人として責任をもってやっていかなくちゃね。
ペースも落とそうかなという感じかもしれません。
このギアチェンジによって、その後も小島麻由美さんは安定して快作を出し続けてくれています。
ただ今の彼女の音楽もいいけれど、時々初期のはっちゃけ方が名残惜しい気がしてしまうのは、こちらの勝手かもしれません。
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