「彼女の生き方が現れている、魂のアーバンブルース」
今回はフィービ・スノウ「ネヴァー・レッティング・ゴー」(Album『薔薇の香り』)をご紹介します。
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■アーティスト名:Phoebe Snow
■アーティスト名カナ:フィービ・スノウ
■曲名:Never Letting Go
■曲名邦題:ネヴァー・レッティング・ゴー
■アルバム名:曲名と同じ
■アルバム名邦題:薔薇の香り
■動画リンク:Phoebe Snow「Never Letting Go」
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フィービ・スノウ「ネヴァー・レッティング・ゴー」(アルバム:薔薇の香り)ディスクレビュー
こんにちは。おとましぐらです。(プロフィールページへ)
1970年代のアメリカは、有名無名問わず素晴らしい女性シンガーの宝庫です。
そのキラ星のようなシンガーたちの中にあって、この人の存在は忘れることができません。
ただそれは輝かしい時期があまりに短かったせいもあるかもしれません。
まずこの人の略歴を年表にしてみました。
カッコの中は、当時の彼女のおおよその年齢です。
1974年 デビューアルバム「Phoebe Snow」がヒット(24歳)
1975年 フィル・カーンズと結婚、子供を授かる(25歳)
1977年 このアルバム「Never Letting Go」発表(27歳)
1978年 離婚、障害を持つ娘の為に音楽業界から引退(28歳)
2007年 娘が31歳で死去(57歳)
2010年 フィービ・スノウが脳出血により死亡(60歳)
つまりデビューしてすぐヒットには恵まれたけれど、4年で引退したのですね。
ただ引退理由を考えると、もったいないと言ってはいけないような気もします。
彼女は深刻な脳障害を持つ娘の子育てを理由に引退します。この曲を発表したのは引退の前年です。
この曲はスティーヴン・ビショップ(Stephen Bishop)が書いた曲で、原曲は名盤「ケアレス(Careless)」に収録されています。
しかしフィービ・スノウのバージョンの方が世間的には知られています。
実際Googleで検索しようとこの曲名を入力したところ、サジェストキーワードにフィービ・スノウの名前が出てきます。
また松本龍震災復興担当相が辞任記者会見をした時に、辞任しても被災者に寄り添うという意味で、この曲名を引き合いに出したということがありました。
その時もこの曲はフィービ・スノウの曲として紹介されています。
原曲もすばらしい出来なので、軽んじられると気の毒です。
しかし私もこの曲はフィービ・スノウの曲になってしまったと思います。
彼女とこの曲の出会いはほとんど運命といってもいいぐらいです。
なぜ誰もがこの曲がフィービ・スノウの曲と言うのか
今回ご紹介する曲は「ネヴァー・レッティング・ゴー」という曲名です。
直訳すると「決して手放さない」という意味です。
これは重い脳障害を抱えていた娘の施設に入れることを良しとせず、輝かしい音楽キャリアを捨てて、子育てに専念した彼女の心境そのものではなかったでしょうか。
彼女のために多くの人が動いている音楽業界の場合は、すぐに辞められない場合もあるでしょう。
このアルバムの時、彼女は仕事と娘の世話で大変忙しい日々を送っていました。
ただそんな中で1976年に発表された原曲を彼女が聞いた時、何か彼女の中で響くものがあったのではないでしょうか。
私は以下の歌詞に注目しています。一部を抜粋して翻訳してみたいと思います。
クレイジーよね。分かってる。
でも私はただショーを終わらせるだけ。
私は決して手放さないよ。絶対手放しはしない。Phoebe Snow – Never Letting Go Lyrics | Genius Lyrics
上記サイトの原文をおとまが翻訳
本当にフィービとは違う人が書いた曲なのかと思えるぐらいです。そのぐらい当時の彼女の気持ちを代弁しているような歌詞ではないでしょうか。
実際に彼女はこの曲の翌年に音楽業界から引退し、娘を施設に入れることを拒否して、娘の世話に明け暮れる日々を選択するのですから。
このアルバムのインナースリーブには「親愛を込めて、最も勇敢で、最も強く、最も美しい私の赤ちゃん」という、彼女が娘へ贈った賛辞が書かれています。
音楽よりも娘のそばにいたい、歌手である前に母親でありたい、そういう優先順位はとっくに決まっていたと思います。
引退してからの彼女の様子については、ウィキペディアから引用しておきましょう。
とは言え1980年代のスノウは長くレコーディングから遠ざかり、自身も重い病気を患いながら、時折AT&Tその他の短いCMソングを、病気の娘の養育費用と生活のために歌うだけになっていた。
彼女ならばそのままキャリアを継続していさえすれば、ローラ・ニーロ(Laura Nyro)のようにでもなれたでしょう。
誰もが認める実力の持ち主です。それが日銭を稼ぐような歌に費やされてしまったのです。
しかしそれでも気の毒とは言えないかもしれません。
彼女は娘が31歳で人生を終えるまで、その最後の瞬間までしっかり看取っています。
最後までぶれなかった彼女の生き方の強さを、私はうらやましく思うところがあります。
ほぼ30年です。たやすいことではありません。
きっと強い女性だったのですね。そしてその強さはこの曲にも表現されています。
この曲のどこがすばらしいのか
さて曲を聞いていきましょう。
イントロはしっとりしたピアノで始まります。歌い方はクセというか特徴があるので、すぐ彼女の歌だと分かります。
この人はシンガーソングライターですが、他の人の曲を歌うことも多く、どちらかというとシンガーとして高く評価されてきた人です。
音域が広いしどの音域でも安定感があります。
ただ技術の問題というより、彼女の精神性がこの歌に清々しい魅力を加えていて、私などは「魂のアーバン・ブルース」とでも呼んでみたい歌です。
1:58からフィル・ウッズ(Phil Woods)のアルトサックスが入ります。
フィル・ウッズはビリー・ジョエル(Billy Joel)の「素顔のままで(Just the Way You Are)」での決定的な名演が有名ですね。
ここでも都市に住む人の機微を救い上げる、すばらしいソロ演奏を披露しています。
実はこのフィル・ウッズという人も、演奏のようになかなか味わい深い人物です。
私はこの曲に華を添えるすばらしい人選だったと思います。
歌が次第に熱を帯びてきて、2:30ぐらいから歌い方が変わります。タフさを前面に出した歌い方になります。
「私はあなたに夢中なのよ。だから決して手放しはしない」と繰り返し歌っています。
私はこの力強い歌を聞くとほっとするところがあります。
ちなみにこのアルバムはかわいらしいジャケットも有名ですが、この女の子が彼女の娘かどうかは調べても分かりませんでした。
さてその後の彼女の話に戻ります。娘が成長して手がかからなくなってから、彼女は音楽キャリアを再開しています。
彼女は娘を看取った3年後、60歳で亡くなっています。晩年に彼女は仏教に傾倒したという逸話も残っています。
60歳で人生を終えるのは短すぎますが、ただ彼女の中ではやりきった感じはあったでしょうね。
改めて人の一生はあっという間に終わってしまうのだなと思わざるを得ません。
だからこそ一生懸命に生きていかなければいけない。彼女の歌を聞くと、そう思い起こさせてくれる気がしないでしょうか。
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