今回はシネイド・オコナーについて、2つの動画をご紹介します。
この記事では2つの動画から、私が考えたことを書いてみました。
少しとりとめのない内容になるかもしれません。
ボブディラン30周年ライブの動画
まずこの動画をご覧ください。
シネイド・オコナーの闘い【War】ボブディラン30周年ライブで(日本語訳付)
この動画ではシネイド・オコナーは、観客からの激しいブーイングにさらされています。
この騒動の発端となったのは、以下の事件です。
1992年10月『サタデー・ナイト・ライブ』の生放送中に「真の敵」だとしてローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の写真を破ったことにより大きな物議を醸し、直後のボブ・ディランのトリビュート・コンサートに参加した際には大ブーイングを浴びながら一人だけボブ・マーリーの「War」を歌うことになった[1][2]。
少し補足すると、当時はカトリック聖職者による幼児への性虐待が社会問題になっていました。
彼女はそれに対する抗議として、ローマ教皇の写真を破りました。
その行為に端を発して多くの観客が非難する中、彼女は当初歌う予定だったボブ・ディラン(Bob Dylan)の曲を歌いませんでした。
その代わりに歌ったのが、ボブ・マーリの「ウォー」という曲です。
原曲のリンクを貼っておきましょう。
彼女は写真を破るべきではなかったと思います。
そして大勢の観客が彼女を罵倒する行為についても悲しいと感じます。
ダブリン市1000人の合唱の動画
まず以下の動画をご覧ください。
1000 Dubliners sing “Nothing Compares 2 U”
この動画はダブリンの市民1000人が故シネイド・オコナーを追悼するために集結し、彼女の代表曲「Nothing Compares 2 U」を歌っています。
こちらも原曲のリンクを貼っておきましょう。
Sinéad O’Connor – Nothing Compares 2 U
彼女の中ではこの曲が飛び抜けて有名です。
私はビートルズ(The Beatles)の「エリナー・リグビー(Eleanor Rigby)」を引用した、以下の曲も気に入っています。
最初の動画では観客は彼女を激しく非難していました。
しかし2つめの動画で多くの人々は、彼女の死を悼んでいます。
私はぼんやりと2つの観客について、どれほど違うのだろうと考えています。
2つの動画を見て、私が感じたこと
この記事を書くにあたって、彼女の思想を掘り下げる必要があるのかもしれません。
しかし私は政治的、思想的な話題が苦手な人です。
そもそも今回私が書きたいのはそういう話ではありませんし。
最初の動画で彼女を非難した大勢の観客の中には、気丈に歌う彼女に感動した人がいるかもしれません。
一方2つめの動画に参加しているダブリン市民の中にも、彼女の考え方に賛同できない人がいる可能性も。
おそらく1000人もいれば必ずいると思います。
しかし1つ目の彼女の歌もすばらしいですし、ダブリン市民の合唱もとても感動的です。
そこには政治信条とは別の意味が生まれているのではないか。
ふとそう思い、おぼろげな考えをまとめながらこの文章を書いています。
うまく着地してくれればいいのですが。
敵と味方の両方を魅了した名歌「リリー・マルレーン」
第二次世界大戦ではドイツの曲「リリー・マルレーン」が流行りました。
反ナチスのドイツ人女優マレーネ・ディートリヒは、味方の連合軍を慰問した時、兵士たちがこの曲を歌っているのを聞きました。
敵国の歌を好きになるなど、通常はありえません。
しかしマレーネ・ディートリヒは、その曲を歌うことにしました。
【ドイツ語】リリー・マルレーン (Lili Marleen) (日本語字幕)
この曲の歌詞は、戦場の兵士が故郷の恋人を懐かしみ、再会することを切望する内容です。
それは両陣営の兵士に共通する思いだったかもしれません。
慰問用として戦場に届けられたこの曲は、その意図とは異なり反戦歌として受け取られることもありました。
違う点ばかりに注目すれば、分断とヘイトは避けられません。
ただ音楽には政治信条とは異なる、時には逆の働きをすることがあるのかもしれません。
そして分断やヘイトを緩和することさえあるのではないか。
もちろんこれはぼんやりした感傷にすぎませんし、対立する事実そのものの苛烈さを軽視していると言われても仕方ありません。
ただ音楽には論理上の対立を超える何かがあるように思います。
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