音楽と政治・思想は不可分なのだろうか(再論)

今回は以下の記事の続編です。

もしまだ読んでいない方は、先に以下の記事を読んでいただければと思います。

この記事はその続きなので、この記事だけ読んでも意味が分からないかもしれません。

音楽を評価する時、アーティストの思想はそんなに重要なのだろうか?

閑話休題

上の記事をお読みいただいた前提で、現在に至るまでの経緯をご説明いたします。

先日上の記事アップしたところ、同じ記事にコメント申請がありました。

その書き込みはとても攻撃的な内容だと思われたため、私はコメントの公開を承認せず削除しました。

その後私は以下のようなツイートをしました。

 

【上のツイートの続きは以下】

思想はどんな表現にも付いて回るのに、そんなこと言っているから、フジロックに政治を持ち込むななどというバカなことを言い出す人が出てくる。

だからこの国の文化は空洞化するのだ、というもの。

仰っている内容は理解できなくもありませんが、そのコメントには、内容以前の問題がありました。

コメント原文があまりに口汚く、人を不快にさせるように思いました。

その為申し訳ありませんが、コメントは削除させていただきました。

代わりに要旨をご紹介いたしました。

時に言葉は凶器になります。

もし私がそのコメントの公開を承認してしまったら、同様の主張をされる方の名誉を棄損するだろうと感じられたほどでした。

私はそうした悪影響も望んでいません。
そういうことを含めての措置です。

これからも人を不快にさせる書き込みがあれば、コメントの公開を許可しませんし、Twitterではブロックいたします。

ただ私の文章がこの方の攻撃性を誘発した可能性は捨てきれず、いつもの自分らしくない文章を書いてしまった感はいなめません。

記事にも書きましたが、私はあまり政治的とはいえな人間ですから。

またいつも通り、音楽の魅力をお伝えしていいきたいと思っています。

https://twitter.com/otomashigura/status/1674539352725258241

このブログはメイン・ブログとは別に開設したサブ・ブログです。
しかも先日開始したばかり。

そのため前回の記事を書いた段階では、まだインターネット検索からのアクセスはありませんでした。

AMEBA内からのアクセスは日に数件あるものの、ほぼ全てがTwitter起因のアクセスです。(今はAMEBAから移転しています)

そのためこのコメントをした方も、Twitterから訪問した可能性が高いと考えました。
そこで上記のツイートをしたというわけです。

その予想は当たり、私からコメントを削除された方から以下のような一連のツイートがありました。

 

削除された文章を書いたものです。攻撃的と受け止められる表現があったのならそれは気分を害したものとして謝罪いたします。主さんは盛んに「いい音楽」とおっしゃいますが、それはつまり対極には「よくない音楽」「ダメな音楽」が存在することになりますが、それは貴方の感想ではないですか?

もし貴方が「良い」「悪い」を論じるならその演者、作者等にどれだけ足を使って取材をしたのでしょうか?私は素人なので音楽に対しては「これは好き」「これについてはその魅力がまだ理解できていない」という風にいうことにしています。

そして音楽に関わらず文学も映画も芝居も 意図するしないに関わらず時代を移す鏡という 側面を持ち合わせます 要するにそれは政治的・思想的な部分と不可分です それは別にポピュラー音楽に関わらず クラシックの世界でも戦前のアメリカ奴隷のブルーズも 全てそうではないですか

一つの例を挙げるとすれば ショパンの「英雄」はとても素晴らしい作品ですが 彼の政治的・民族的な思想を排除し、それを音符の 羅列として受け止め「良い音学」と評価し不特定多数に レコメンドする姿勢は明らかに不自然だと思いませんか?

貴方の主張の誤読したが故の暴論かもしれません しかし改めて思いを書きました 思いが通じない相手だった、誤解も甚だしく相手にできないどのように判断されて削除されても全く私はかまいません ただ一部(もしかしたら私一人かもしれません)には 「良い音楽」という表現を嫌う人間もいるのです  了

お名前を伏せるため、このような形で引用させていただきました。

ここではその方をAさんと呼ぶことにします。

取り急ぎ経緯の説明が終わりましたので、ここからは直接Aさんに向けて書きます。

———————————-
>削除された文章を書いたものです。攻撃的と受け止められる表現があったのならそれは気分を>害したものとして謝罪いたします。

冷静で真摯なご対応ありがとうございます。
いただいたご意見に対し、これから私の意見を述べてまいります。

>主さんは盛んに「いい音楽」とおっしゃいますが、それはつまり対極には「よくない音楽」

>「ダメな音楽」が存在することになりますが、それは貴方の感想ではないですか?

仰る通り、私の主観でしかありません。
私が主観を重視して記事を書いていることは、先日の記事でも強調していました。

「いい音楽」ならば感想でいいけれど「ダメな音楽」については感想を書くなということでしょうか。

そもそもの話、私は「ダメな音楽」がある前提では考えていません。

それについては後で詳しくご説明いたします。

>私は素人なので音楽に対しては「これは好き」「これについてはその魅力がまだ理解できてい>ない」という風にいうことにしています。

これは私も同じ考えですし、実際過去にもその思いを記事に書いています。

アルバート・アイラー(Albert Ayler)の記事でも、私は以下のように書きました。

私はこの記事で分かった風なことを書きました。

しかしそれは分かった部分だけを書いているからにすぎません。

アルバート・アイラー(Albert Ayler)の名曲名盤10選【代表曲・隠れた名曲】

魅力を理解できていないかもしれないという部分は私も同じなので、そこに我々の違いはありません。

それでも好きになれない場合、私の場合は「愛せなければ通り過ぎよ」というスタンスです。

私は自分が好きになれない音楽については、基本的に語りたくない人です。

そもそも私は好きなアーティストしか取り上げません。

自分の好きなアーティストの悪口を言って楽しいものでしょうか。

一方私は主観で良いものは良いと書きます。

もし私がネガティブな側面を語る場合は、愛情>>>>>>>>>>>苦言という状況下でしか語りません。

たとえば私は好きですが、1980年代のニール・ヤングを嫌いだと言う人がいます。

しかしニール・ヤングが大好きな私は、彼について憤慨しません。
なぜならその分彼が1970年代のニール・ヤングを愛していることを知っていますから。

もし妻が夫に対して「時々鼻毛が出ているよね」と言ったとします。

妻が夫のことを嫌いな状況でそう言ったとしたら、険悪な状況でしかありません。
しかし夫を大好きな妻がそう言ったとしたら、とてもほほえましい話だと思います。

つまり何を言いたいかというと、文脈によっては言葉の意味は変わるということ。
愛情ゆえの苦言も、その類だと思います。

そこは許容すべきといいますか、批判とは別ものとして理解すべきではないでしょうか。

そこはしっかり汲むべきだと思いますし、たとえ批判が鼻についたとしても私は寛容でありたいと思っています。

つまりのところ、自分がその音楽が好きであればいいのですよ。

おそらくAさんも「ファンならば全てを盲目的に称賛せよ」というお考えではないと思いますが。

>もし貴方が「良い」「悪い」を論じるならその演者、作者等にどれだけ足を使って取材をした>のでしょうか?

前述したように、私は基本「良い」は語りますが「悪い」の方は語りたくない人です。
その前提でお答えします。

そもそもアーティストはCDやレコードだけで勝負しています。
自分のことを取材したり、詳しく調べない奴は良し悪しを判断するなとは考えていないと思います。

私はほぼCDやレコードを聞いただけで「良い」と判断しています。
アーティストはそこで勝負しているわけですから。

私はそのアーティストの伝記を書こうとしているわけではありません。
なので、取材が必要だとは思いません。

その分しっかりCDやレコードを聞いて判断したいと思っています。
したがって、CDやレコードを聞いただけで「良い」と判断すること自体に問題があるとは思いません。

>そして音楽に関わらず文学も映画も芝居も
>意図するしないに関わらず時代を移す鏡という
>側面を持ち合わせます

私もその通りだと思います。しかし上記に続く以下の箇所、

>要するにそれは政治的・思想的な部分と不可分です

ここが理解できません。
といいますか、急に話が飛躍したように感じられます。

文脈から判断するに、仰っているのは「政治的・思想的な部分」というより、時代背景のことではないでしょうか。

たとえば日本では戦後ほとんどの期間、自民党が政権を担ってきました。

ではその間の日本の音楽は、自民党政権の影響なしでは語れないのでしょうか。
自民党と当時の日本の音楽は、不可分の関係にあるのでしょうか。

私はそこが本当に理解できません。

先程私は時代背景と言った方がしっくりくると申し上げました。
たとえば高度経済成長期やバブルの時代は、その時代特有の音楽が生まれたのは事実だと思います。

ここでは詳しく述べませんが、それについて私は数多くの事例を知っています。

しかしそれは当時の時代背景というべきもので「政治的・思想的な部分」という言葉は似つかわしくないように感じます。

もちろん時代背景の中には「政治的・思想的な部分」も含まれていると思います。

しかしそこだけ抜き出すのは、ミスリードにならないでしょうか。

>要するにそれは政治的・思想的な部分と不可分です

と断言されてしまうと、私のように急に話が見えなくなる人が出てきます。

私の実感で申し上げると、同じ時代の中で、それぞれの人がそれぞれ違うことを考えながら音楽をつくり発表しているだけのように思います。

少なくとも今の日本では。

ただ一方で「政治的・思想的な部分」の影響を受けているケースがあることも否定しません。
ブラジルの軍政時代などは特に顕著で、音楽にも強い影響を与えていると思います。

そのことは私も度々記事内で語ってきました。

その論点はかなり重要だと思いますから。

ただそれらそれぞれに違う状況を全て同じだと断定して、音楽が「政治的・思想的な部分と不可分」だとは思いません。

自省を含めて言えば、何かの物事について語る時、一つの切り口だけでは語ることができない場合の方が多いように思います。

今の日本では皆同じ時代に生きていても、政治的・思想的な影響が音楽に強く反映されるような状況ではないように感じます。

もちろん例外もありますが、全部がそうだと断言するのは逆に不自然です。

>ショパンの「英雄」はとても素晴らしい作品ですが
>彼の政治的・民族的な思想を排除し、それを音符の
>羅列として受け止め「良い音学」と評価し不特定多数に
>レコメンドする姿勢は明らかに不自然だと思いませんか?

私はショパンの政治的、民族的背景を知りません。
同時にそれらの知識を知らない人が、ショパンの曲をレコメンドすることを不自然だとは思いません。

たとえばある人がショパンの「英雄」を聞いて、とても気に入ったとします。
ぜひ紹介したいと思って「政治的・民族的な思想」を知らずにYoutube動画をツイートしたら、それは「不自然」なことなのでしょうか。

むしろ自然なことかと。

それは仰っているような「彼の政治的・民族的な思想を排除し」とは全く異なります。

少なくとも「排除」の意識はないでしょうから。

被害者的な観点から偏って見てしまうと、正確な状況を見誤ります。

なぜその人は単に好きだと思ってツイートしただけで「政治的・民族的な思想を排除し」とか「不自然」と言われなければいけないのでしょうか。

ではショパンの「政治的・民族的な思想」を知ってツイートする方が好ましいのでしょうか。

必ずしも私はそう思いません。

もし発信者がショパンの専門家ならば、知らないといけないかもしれません。

しかし素人の個人が発信するのに、その知識を前提にしないと「不自然」だと指摘されるのはどこかおかしい。

むしろ私は「政治的・民族的」文脈から切り離されてもなお、時代を超えて評価されることにこそ、ショパンのすばらしさを感じます。

我々は皆、シェフの思想を知らずに料理を食べています。

また小説家でも、その人の「政治的・民族的」な考えを知らなくても、その小説を楽しむことができます。

音楽を聞くということは「政治的・民族的な思想」と不可分でなければいけないのでしょうか。

私はもっと音楽は自由なものだと思っています。

そしてその自由を「思想」によって束縛してはいけないと。

Aさんさんは「不自然」という言葉を、音楽の発信者を抑圧する意味で使ってはいないと思います。

しかしその一言は、結果的に抑圧的に働く可能性は考えられないでしょうか。

事実私は一連のツイート以降、以前より抑圧下に置かれています。

もちろんご自身が「政治的・民族的」な知識を持って発信することを否定しているわけではありませんので、念のため付記しておきます。

>彼の政治的・民族的な思想を排除し、それを音符の
>羅列として受け止め「良い音学」と評価し不特定多数に
>レコメンドする姿勢は明らかに不自然だと思いませんか?

「彼の政治的・民族的な思想を排除」したら、その音楽は「単なる音符の羅列」になってしまうのでしょうか。

私はむしろ逆のケースがあるように感じます。

先日私が書いた記事では、思想とか時代について語りたがる人の中には、一向に音楽の魅力について語ろうとしない人がいると書きました。

そういう人は思想が好きなのであって、音楽が好きな人ではないようにすら感じます。

思想や時代ばかり偏重し、音楽を語ることを置いてきぼりにしている方がよほど「単なる音符の羅列」として考えていないでしょうか。

先日の記事で私はなぜその音楽がすばらしいのか、もっとそこを語ってほしいと申し上げました。

先程「彼の政治的・民族的な思想を排除し」という部分がありましたが、私は排除していません。

実際「政治的・民族的」な部分が重要な人については、記事内でも言及しています。

ただAさんとの違いは、以下の箇所。

>要するにそれは政治的・思想的な部分と不可分です

そのアーティストを理解するのに必要であれば、むしろ積極的に思想を語りたい。
その必要がなければ語らない。
私はそういう立場です。

一律に音楽と思想を不可分だとは思いません。

私は以前マット・ビアンコ(Matt Bianco)の記事を書きましたが、その記事では「政治的・思想的」なことを一切書いていません。

Aさんによれば「不可分」であり「不自然」ということですから、私はマット・ビアンコの記事でも、政治や思想について語らなければいけないのでしょうか。

私はその記事ではそうした切り口で語る必要はないと思いました。

しかし一方で浜田省吾の記事では、彼の思想について書かなければいけない、むしろ書きたいと思いました。

私の考えでは「不可欠」ではなく「必要な場合は政治や思想についても言及する」です。

ゼロ・イチではなく、濃淡がある話です。

最終的には記事を書く人の主観にゆだねられるべきかもしれません。

もし第三者が「彼の政治的・民族的な思想を排除」していないかと読んでいたとしたら、私はまるで検閲されているかのような恐怖を覚えます。

>貴方の主張の誤読したが故の暴論かもしれません
>しかし改めて思いを書きました
>思いが通じない相手だった、誤解も甚だしく相手にできないどのように判断されて削除されて>も全く私はかまいません

「誤読ゆえの暴論」は私の方も同じかもしれません。
くれぐれもご自身を責めることのないよう、そして気落ちしないようお願いいたします。

>ただ一部(もしかしたら私一人かもしれません)には
>「良い音楽」という表現を嫌う人間もいるのです  了

ただここは申し訳ありませんが、同意できません。

おそらく「すばらしい音楽」とか「美しい音楽」でも同じことだと思われます。

正反対の概念を連想していらっしゃるようですから。

先程「良い音楽」があるということは「悪い音楽」があるということだと仰っていました。

私はそう思いません。
たとえば復讐の反対は許すではなく、幸せになると言っている人がいました。

私からすると「良い音楽」の反対は「悪い音楽」ではありません。

「これから好きになるかもしれない音楽」です。

「良い音楽」があるということは「悪い音楽」があると、強迫観念に近い形で断定すべきではありません。

「悪い音楽」を想起し気にするあまり「良い音楽」について語れなくなったとしたら本末転倒ではないでしょうか。

そして「足を使って取材」もせず、また「政治的・民族的な思想を排除し」「悪い音楽」と決めつけるのかという考え方も。

以下の通り、これまでの私の主張を振り返ってみたいと思います。

「足を使って取材」 →音楽のレビューなので基本音楽を聞いて書く。伝記を書くわけではないので取材は必要ない。

「政治的・民族的な思想を排除し」 →排除はしていない。必要ない場合は触れず、必要な場合は言及する。

「悪い音楽」 →そもそも「悪い音楽」という考え方をしない。愛情ゆえの苦言ならありえるが、その場合は本質的に苦言ではない。

「悪い音楽」と私が考えもしないような裏読みをされてしまえば、今後私は好きな音楽について語ることができなくなります。

そこは再考していただきたいと思っています。

>ただ一部(もしかしたら私一人かもしれません)には 「良い音楽」という表現を嫌う人間もい>るのです  了

ご自身がそうお考えになることについて、ご意見を申し上げるつもりはありません。

同時にはAさんには「良い音楽」について語る私を抑圧する権利はありません。

私は「悪い音楽」については語るつもりはなく、ただ自分の信じる「良い音楽」を主観で語りたいだけです。

何人たりとも、そのささやかな個人の楽しみを奪う権利はありません。

さてここまでが私の反論です。

今回の件について私は、被害者的なポジションをとることを厳に慎みたいと思います。

Aさんにも自分が被害者とは考えていただきたくありません。

どちらが正しいのか、そこは当事者では判断できませんので、第三者の判断にゆだねる他ありません。

申し訳ありませんが、後日Aさんのフォローを解除し、ブロックさせていただくつもりです。

そもそも私は「良い音楽」を発信したい人ですし、Aさんは「良い音楽」という表現を嫌う人ですから、繋がっているのは不自然ですし。

それにこの件では、少々消耗したのも事実です。
正直なんだかもうだいぶ疲れていますし。

それはAさんのせいではなく、私がこういう状況に慣れていないせいです。

フォロワーの皆様におかれましては、このことでAさんに強く当たらないようお願いいたします。

私は皆様をミスリードしたくありません。

最後に過去にご紹介して反響が大きかった曲をご紹介いたします。

そういえば私は議論したいのではなく、ただ音楽をご紹介したいのだと思い出しました(笑)

SOLEIL – 卒業するのは少しさみしい

ただこ議論からは、これで卒業したいと思っています。
 
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