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山口一郎氏とみの氏を起点とした音楽ジャーナリズムの地殻変動と音楽評論家の未来

今年はサカナクションの山口一郎氏と音楽系Youtuberみの氏を起点として、音楽ジャーナリズムに関連する様々な動きがありました。

この記事では一連の流れを整理しつつ、音楽批評の地殻変動と今後の展望について語りたいと思います。

文章を動画にしたYoutubeラジオもご用意しています。

 

目次

第1章 全てはこの動画から始まった

全ては以下の動画から始まりました。

音楽のジャーナリズムは◯んでます🐟️サカナクション山口一郎氏一郎【切り抜き】

元の動画は2025年4月8日頃にアップされたようですが、現在は削除されています。

その後みの氏が上の切り抜き動画を視聴したことが、一連の様々な動きの発端となりました。

動画でサカナクションの山口一郎氏が語った内容を、私なりに要約してみましょう。

アニメや漫画、ラーメン業界などでは良いものは良い、悪いものは悪いと指摘する健全な批評が機能している。

批評家とクリエイターどちらも緊張感を持っていて、良い作品が生まれる土壌がある。

その点音楽ジャーナリズムは批評が死んでいる。

音楽ジャーナリズムからの情報よりも、仲の良いPAに聞いた方が今後伸びそうな良いバンドを教えてもらえる。

良いバンドでも業界特有の事情から売れない場合もあるが、そういうバンドを音楽専門誌やテレビが引っ張り上げることもない。

知られていない良い音楽を掘り起こしてほしいが、今の音楽ジャーナリズムはその役割をはたせていない。

 

第2章 田中宗一郎氏から挑発されたと訴えるみの氏の動画

先程の動画を見たみの氏は、山口氏の問題意識にいたく共感したようです。

ただそれ以前からみの氏には同じ問題意識があって、山口一郎氏の動画を見たことでより強く意識するようになったようです。

その問題意識が生まれたきっかけはどのようなものでしょうか。

それを知るには、2021年12月17日にアップされた以下の動画まで遡る必要があります。

田中宗一郎に挑発されました😭

その動画でみの氏は、田中宗一郎氏(タナソウ)と宇野惟正氏から挑発されたと語っています。

田中宗一郎氏と近い数人が対談したクローズドな有料動画の中で、みの氏が槍玉に挙がったようです。

有料動画ということもあり、具体的な内容は言及されていません。

しかし「否定的に名前が出ている」のは確からしく、お金を払ってその動画を見たみの氏はショックを受けていました。

上の動画でみの氏は「コツコツこうやってる後輩を上から叩き潰すのが皆さんの世代の役目なんですかね」と言っていました。

3:36と短い動画ですので、お時間が許せばぜひご覧になってみてください。

 

第3章 みの氏と田中宗一郎氏の対談

その遺恨を受けて、後日みの氏と田中宗一郎氏の対談が行われました。

みの氏 x 田中宗一郎【喧嘩対談】

その動画では両者の決定的な違いが浮かび上がりました。

音楽の価値づけについて、みの氏は言い切る派で田中宗一郎氏は聞き手にゆだねる派です。

又みの氏は内在的批評、田中宗一郎氏は外在的批評の立場です。

内在的批評は音楽そのものに注目する批評、外在的批評は音楽の外側、つまり音楽を取り巻く社会や時流に着目するという違いがあります。

上の動画の中で、田中宗一郎氏は音楽の良し悪しについて言い切らないと語っています。

その根拠としては、音楽の価値は人によって異なるし時間が経てば評価は変わる、つまり様々な要因で変動するので価値決定はしないそうです。

ただ私はそれを言ったら誰も何も言えないのではと思いました。

誰もが皆、今この瞬間自分が判断するという前提で意見を述べています。

そもそも価値づけを聞き手にゆだねるだけならば、音楽を聞いてもらうだけで済むので、音楽批評も必要ありません。

一方みの氏は音楽の価値づけはした方がいいという立場です。

それはともあれこの対談で両者は和解し、遺恨は解消されています。

 

第4章 対談と山口一郎氏の主張との繋がり

ここで冒頭の山口一郎氏の問題提起に繋がってきます。

山口一郎氏が語っていたように、漫画やアニメ、ラーメン業界の批評は、良いか悪いか価値判断がはっきりしています。

漫画自体について語る役割を放棄する漫画評論家や、ラーメン自体について語る役割を放棄するラーメン評論家はいません。

しかしこれまで音楽業界では価値判断しなくても許されてきました。

そもそも現在音楽批評の重鎮といえる田中宗一郎氏が率先して、価値づけはしないと明言しています。

その結果、山口一郎氏から音楽ジャーナリズムは死んだと指摘されるまでに至りました。

両者の違いについて、批評に対するスタンスが違うだけだと思われるかもしれません。

そこで私は「Oxford Languages」で「批評」の定義を調べてみました。

【批評】

よい点・悪い点などを指摘して、価値を決めること。

Oxford Languages & Google

複数の辞書で調べてみましたが、どれも同じ定義でした。

ちなみに最近三宅香帆氏が批評について、結論を判断しないという意味で使用していますが、それは言葉本来の意味としては正しくありません。

批評の「批」は「是非をただす」「良し悪しを判断する」という意味で、批評とは価値の決定とそこに至る考察のことですから。

つまり田中宗一郎氏は価値決定をしないので、そもそも批評はしていないことになります。

 

第5章 日本の音楽は内向きでガラパゴスだから世界では通用しないという田中宗一郎氏の予測

ここでは日本の音楽ジャーナリズムの一大勢力となった感のある彼らの言論が、本当に山口氏の言う通り機能していないのかを検証したいと思います。

田中宗一郎氏と宇野維正氏の共著「2010s」には、私が気になる箇所があります。

それは日本の音楽が内向きに進化した結果、ガラパゴスとなり国際的な競争力が失われたとする指摘です。

しかし現実は田中宗一郎氏らが言っていたのとは、正反対の方向に進みました。

現在世界で人気のある日本のアーティストは、米津玄師やYOASOBIなどのように、ガラパゴスのまま評価された人が少なくありません。

中にはAiScReamや新しい学校のリーダーズなどのように、ガラパゴスの極地みたいな成功例もありますし。

日本で独自の進化を遂げたガラパゴスの音楽が、海外では個性として強味になっています。

もちろん今でもJPOPがグローバル・チャートで安定して上位を獲得するには至っていません。

ただ皆無に等しかった一昔前に比べると、上位に食い込む機会は飛躍的に増えましたし、動向を見守ってきた身としては隔世の感があります。

 

第6章 発売してしばらく経過した「2010s」の評価

私と同じように感じている方のポストを見つけました。

『ダンダダン』に関する紀藤正樹の発言が炎上しているけれど、日本のマーケットに国際標準を求める風潮は特に音楽業界において根強いものであるように思う。田中宗一郎のガラパゴス論なんかがそう。でも、それも最近では数々のアーティストの海外公演の盛況ぶりからして大分疑わしくなってきたよね。

https://x.com/nbkbfc/status/1959908696076726316

田中宗一郎と宇野維正の『2010s』は品切れらしく、それもある種の必然であるように思う。彼らの主張は「海外のトレンドに鈍感な日本のミュージシャンの楽曲は輸出品としては規格外であるため、音楽不況と共にパイは縮小せざるをえない」というもので、今の状況と照らし合わせると笑い話でしかないよね

https://x.com/nbkbfc/status/1960299977126605058

そのポストに対して、以下のようなリプが寄せられていました。

昨日ブックオフに売ったとこです笑
https://x.com/box_pelonpa/status/1960317302110585041

「2010s」に現在と今後の音楽シーンをひも解く指針としての役割を求めると、裏切られたと感じる人がいても仕方ありません。

 

第7章 客観性が担保されない外在的批評

外在的批評は、音楽の外側の客観的事実に着目する方法なので、日本のガラパゴス音楽が海外で通用するかどうかといった分析は本来得意分野のはず。

しかし専門家としての真価が問われる場面で、田中宗一郎氏は現実を見誤りました。

そもそも私はアーティストに世界で通用しないと呪いをかけること自体どうかという気がします。

彼はKPOPをグローバルスタンダードに順応した成功例として賞賛する一方、それと対比させる形で日本の音楽を内向きのガラパゴスだとして過小評価しました。

私は外在的批評自体は否定しません。

しかし外在的批評は客観性が担保されない場合、現実とはかけはなれた結論になることがあります。

私は既存の外在的批評について、主観で左右されやすい点が問題だと思っています。

「2010s」も最初から結論ありきで、その結論を裏付ける事実を後付けした印象がありますし。

以下の引用ポストは外在的批評について述べたものではないかもしれませんが、私は共通する恣意性を感じます。

おそらくはどの年代でも無数の音楽がリリースされてたはずだから、2〜3のアーティストを取り上げて比較することで何かしら潮流のようなものを推し量ろうとするのは無謀すぎるとは思う
https://x.com/alYuArT9fpATB4M/status/2048278602681323994

実際私は何度かこういう風に感じる外在的批評の文章を読んだことがあります。

 

第8章 外在的批評から導き出された意外な予想

外在的批評が思ってもみない結論を導き出した例を、もう1つ挙げましょう。

以下は田中宗一郎氏に近い立場の柴那典氏のポストです。

シティポップも渋谷系文脈のラウンジポップも海外発の再評価が起きたわけだから、あと「発見されてないだけ」で真っ先に思いつくのは2000年代のSCFULL KING、ニール&イライザ、DOPING PANDA周辺の「スカパンクとネオアコの交差」「メロコアとクラブカルチャーの合流」のムーブメントだと思ってます。
https://x.com/shiba710/status/2037341295971303641

それに対して手厳しい意見が2つ寄せられました。

リバイバルの流れは偶発的なものですよ🥹
https://x.com/Alida20120509/status/2038147632158429592

必要ないです。以上。
https://x.com/33974649/status/2038137052513063342

私は次に流行ると予想された音楽自体の価値は否定しません。

まだ結論は出ていませんが、皆様はどのように思われますでしょうか。

ちなみに柴那典氏は最近、音楽評論家と名乗ることにしたようです。

「音楽評論家」という肩書きを名乗ろうと思います
https://x.com/shiba710/status/2029530090514878464

私は音楽自体について語る比率の低い人が、音楽評論家と名乗ることに違和感を覚えます。

柴氏については音楽のトレンドを語る印象が強く、その点では優秀な方だと思いますが。

 

第9章 外在的批評と内在的批評は車の両輪

以下のポストは、私の文脈に寄せすぎないよう留意しつつ引用します。

私は以下のポストを、外在的批評の音楽評論家を想像しながら読みました。

現代の音楽について考える際に、音楽について言及するだけでは不十分であると主張する人たちがいて、たしかにそういうケースは多々あると同意する反面、それを声高に主張する人たちの大半は、最初から音楽について中心的に考えることを諦めているのではないか、と強く感じるケースも多々ある。
https://x.com/lovesydbarrett/status/2043287220162068514

逆に言えば音楽を中心に考えなくても、音楽批評が成り立つと思うこと自体おかしいかもしれません。

私は内在的批評と外在的批評は、車の両輪のようなものだと思います。

しかしいつの間にか現実は音楽そのものについては最小限に留める、外在的批評偏重の音楽評論家ばかりになったような気がします。

時には音楽を深堀りしなくてもいいように、外在的批評をしているように感じることも。

現在の外在的批評偏重の音楽評論家に欠けているのは、がっつり内在的批評する決意とその基礎体力かもしれません。

 

第10章 「ポップ・ミュージック」という不可解な概念

外在的批評の音楽評論家が好む言葉に「ポップ・ミュージック」があります。

ただ「ポップ・ミュージック」という言葉の定義は、それほど明確ではないかもしれません。

ポプティミズム辺りの言説からしてそうなんだけど、ポップ・ミュージックについて議論をしたい人たちは、たいてい「ポップ」の定義を棚上げしながら話をしたり、「ポップ」=売れているものorメインストリーム程度の定義で話をしてるから議論が深まらないし、発展性もないし、袋小路なんだと思う。
https://x.com/lovesydbarrett/status/2012512180336554058

その人によって少しずつ解釈が違うようですが、私は以下のように解釈しています。

「ジャンルにとらわれずジャンルを横断する、価値観を橋渡しするラジカルさを内包しつつ、流行するパワーを持った音楽、又はその可能性を秘めた音楽」

ある意味横ぐしを入れて、ジャンルを無効化する考え方といえるかもしれません。

その結果HIPHOPやジャズも「ポップ・ミュージック」と呼ばれたりもします。

つまりジャンルとしてのポップ・ミュージックのことではなく、メタレベルて全く違う意味に再解釈した概念です。

田中宗一郎氏は「再定義が生業」と自称しています。

しかし昔からある言葉を違う意味で使うことに何の意味があるのか、私は疑問に思っています。

 

第11章 「ポップ・ミュージック」という言葉を使いたがる人のエリート意識

私は「ポップ・ミュージック」という言葉を使いたがる人には、強いエリート意識があるように感じます。

私の見方に近いと思われるポストを見つけました。

ミセスや藤井風、米津玄師の魅力がわかってる批評家は俺たちだけみたいなポップエリーティズム、普通に気色悪すぎる。
https://x.com/BLUEPANOPTICON/status/2007061018510508318

そういうくだらないマウントの壁を軽々と越えていうのがポップのポテンシャルじゃなかったんですか?
https://x.com/BLUEPANOPTICON/status/2007061485978300603

そういえば以前みの氏は、最近の音楽ジャーナリズムでは売れ線の音楽、たとえばミセスや男性アイドル・グループをいかにほめるかが求められていると語っていました。

しかしその業界ニーズを逆手に取って、先程引用した方が仰るように、それができる俺はエリートだと勘違いしている人もいます。

その時彼らが御旗として掲げているのが「ポップ・ミュージック」という概念。

普通の人がポップ・ミュージックという言葉を使う時、一部の人が勝手に再定義した別の意味を気にしないといけないのは、混乱しますし面倒です。

内輪でしか通用しない言葉を多用しても、我々が乗っている船は前に進みませんし、誰もどこにも行けません。

いつの間にか私の愛するポップ・ミュージックは、地雷ワードになってしまったような気がします。

 

第12章 内輪ノリと互助会システムが醸成した宗教性

彼らは多様性を重視しているようですが、彼らの語る内容はそれほど多様ではありません。

よく思うことですが、外在的批評の人は大体いつも誰もが同じ新作やイベントなど、似た話題ばかり取り上げているような気がします。

外在的批評の音楽評論家はつるむ傾向にあって、無頼派のようにふるまい自分たちの中でしか通用しない言葉を好み、ささいな見解の相違を斬新な視点かのように殊更騒ぎ立てるその実態は、内輪ノリで盛り上がる互助会システムにすぎません。

最終的にみんな違ってみんないいという予定調和の結論は、もはやお約束という感じがします。

ただ彼らは音楽そのものについて価値を判断したがらない一方、外的要因については声高に断定する傾向があります。

日本のガラパゴス音楽は世界で通用しないと主張した彼らは、その後現実が違う方向に進んだことが判明すると、なかったことにしたり、言い訳じみたことを言うようになりました。

それは自称予言者が、大災害が来ると予言して外れた時のふるまいにどこか似ています。

彼らの大衆を啓蒙対象と見ている様子について、以前か私は宗教に近いと感じていました。

ただ少し前から彼らに冷めた視線が向けられ始めてきています。

 

第13章 一部ロッキング・オン的なるものの終わりの始まり

彼らは大衆の中に自分たちより賢かったり、冷静な人がいることを想定していない傾向があります。

しかし以下の方のように、冷静に状況を見ている方も少なからずいます。

随分前にオワコン化してたとはいえ、その残滓が多少残ってたロッキンオン界隈が田中宗一郎氏の万引き自慢でハッキリくっきり終焉した感じ。

似たような連中ばかりでつるんでた結果、エコーチェンバー効果で時代遅れオジサンばかりになっちゃったんだろうね。俺も気をつけよう。
https://x.com/onaramachine/status/1864566726358388917

音楽専門誌の洗脳に似た権威は、もはや通用しないのかもしれません。

実際私の周囲の音楽仲間には、音楽評論家の文章を読んだり興味を持つ人はいなくなりました。

この記事で引用した批判的なリプを見ても、音楽評論家よりも的確だと感じることが多いです。

私は彼らについて大衆を見くびることによって、中二病的なプライドを保っているように見えます。

冒頭でサカナクション山口一郎氏が音楽ジャーナリズムは死んだと言っていたのは、童話で子どもが王様は裸だと指摘したのに似ていないでしょうか。

その様子は内輪のノリが外部に通用しなくなったことを示しています。

それはロッキング・オン出身者の一部が象徴してきた時代の終わりの始まりと言うべきものかもしれません。

 

第14章 音楽の価値や評価を語らない音楽評論家ははたして必要だろうか

外在的批評に偏重する音楽評論家の最大の問題は、価値の決定を回避する姿勢です。

前述したように批評とは価値の決定のこと。

たとえば美味しんぼの海原雄山は、誰よりも率先して料理について価値決定しています。

いつも最初にしっかり価値決定をして、それからじっくりその結論に至った理由を述べています。

もし海原雄山がその料理が美味しいかを語らず、うんちくばかり語る人だったら、あれほど魅力的なキャラクターにはなっていないでしょう。

ただ誰もが海原雄山のように見識や目利き能力があるわけではありません。

当然判断を間違える場合もあります。

ただ価値決定のリスクを回避しないことは評価すべきで、意見を表明した時点で音楽評論家として最低限のノブレス・オブリージュ(高貴な義務)をはたしたといえます。

 

第15章 音楽評論家はいても音楽インフルエンサーが少ない理由

音楽誌の編集者や音楽評論家は、音楽専門誌の権威を背景に知名度を高めた人が多いように思います。

音楽評論家を生むプロセスにおいては、必ずしも厳格な競争原理は働いていません。

それでも音楽評論家は知名度が高いので、SNSのフォロワー数は多い傾向にあります。

しかしいいねなどのエンゲージメントは意外と多くありません。

それはつまり知名度は高くても、その人に熱心なファンが付いていないということ。

私はSNSのエンゲージメントを絶対視しているわけではありませんが、少なくとも一面の真実はあると思っています。

実際Youtubeでもピークアウトした人は、チャンネル登録者は多くても動画再生数は少ないですし。

私が考える音楽インフルエンサーの条件は、複数プラットフォームでフォロワー数が多く、ある程度のエンゲージメントがあることです。

現在その条件に当てはまる人は、ごくわずかしかいないかもしれません。

つまり従来の音楽評論家は、意外と影響力を持った音楽インフルエンサーにスライドしていません。

 

第16章 素人の音楽垢の強味と音楽評論家の存在感低下

SNSの音楽垢などは音楽評論家の存在が希薄になった時代、その空白を埋めるように機能していると感じます。

音楽専門誌の部数が低迷し、音楽評論家の権威の源泉が失われつつある昨今、音楽評論家から素人の音楽ファンにパワーバランスがシフトしつつあるのかもしれません。

ここで一旦素人の音楽ファン、音楽垢の強味を挙げてみたいと思います。

・建前やしがらみのない、本音の意見を知ることができる
・上下ではなく横のつながりとなりやすく、双方向で対等に意見交換できる
・発信者の絶対数が多く、多種多様な意見に触れることができる

一方で上の素人のメリットは、音楽評論家のデメリットでもあります。

私は素人の音楽垢が今後存在感を増すと予想していますが、それは素人が台頭するというより音楽評論家の存在感が低下することで、相対的にそうなると考えています。

次に音楽評論家を取り巻く環境が悪化しつつある現状について述べたいと思います。

 

第17章 サブスクはゲームチェンジャーになるか

サブスクのアルゴリズムは、従来のルールや業界構造を変えるゲームチェンジャーなのかもしれません。

音楽が好きな人には良い音楽に出会う情報源が必要ですが、その役割は現在音楽専門誌からサブスクにシフトしつつあります。

とかく多忙な現代は、良い音楽を見つける探求にコストや時間をかけられません。

その点サブスクは費用対効果に優れていて、時間とお金においてコスパを重視する時代のニーズに合致しています。

確かにサブスクは好みに合う曲を見つける点では優れています。

しかしそのメリットは、好みから外れる良い音楽に出会いにくいというデメリットと背中合わせです。

本来そういう時は、ナビゲーターとして見識や目利き能力を持った音楽評論家が必要とされます。

しかし残念ながら良い曲を紹介しても、直接お金には繋がりません。

てけしゅん音楽情報の伏見瞬氏は、動画の中でそういうことを言っていました。

確かにその通りです。

しかし音楽評論家が自分の見識や目利き能力を知らしめる機会を逃すのは、私はもったいないと思います。

 

第18章 音楽評論家を取り巻く環境悪化の要因

他にも音楽評論家を取り巻く環境は、様々な場面で悪化の一途をたどっています。

音楽専門誌の部数減や廃刊、音楽言論系Youtube動画は稼ぐには市場規模が小さく、スポットの仕事も単価が低く抑えられています。

更にはアーティストが直接ファンにSNSで発信できること、前述したサブスクやAIによる代替リスクなど挙げるとキリがありません。

しかしそれら以上に私が心配している、最も深刻な問題があります。

それはSNSなどで音楽評論家への罵詈雑言が多すぎること。

ここでまず確認しておきたいのは、正当な批判はあってもいいが、悪意のある罵倒はいけないということです。

山口一郎氏が語っていたような健全な批判と罵詈雑言は、分けて考える必要があります。

SNSなどには音楽評論家には何を言ってもいいし、なんならいくらでも叩いていいサンドバック代わりみたいに考える人が一部にいます。

しかし音楽評論家も生身の人間です。

不特定多数からの苛烈な罵倒に耐えられる人は、この世に存在しないのですよ。

そんな悪意に満ちたひどい世界に、まともな音楽評論家は存在できるものでしょうか。

 

第19章 音楽評論家に音楽への情熱が感じられない

私は子供の頃、捨て値で売られているのを見つけては買ったり、友達のお兄さんからもらったりして、古い音楽専門誌を集めていました。

子供の私はお小遣いが少なくて、新しい音楽専門誌を定価で買うのをためらっていたのですね。

そうして集めた音楽専門誌を食い入るように読んでいた経験から、今私が思うこと。

田中宗一郎氏より上の世代には、音楽について熱く語る音楽評論家が沢山いました。

今考えると結構めちゃくちゃな文章もありましたが、多くの音楽評論家は読者の尊敬を集めていました。

それはなぜでしょうか。

私はその頃の音楽評論家の文章に、音楽に対する情熱を感じました。

残念ながら、今はもう望むべくもありませんが。

音楽について語ってるようで、時代を語ることばかり熱心な文章に、私は音楽に対する情熱を感じません。

その点昔の音楽評論家は、音楽を好きにさせる力を持った人が少なくなかったように思います。

 

第20章 音楽評論家の一部は勘違いしているのだろうか

あるXのポストを見つけました。

音楽ジャーナリズムのあまりに窮屈なクリエイティビティの無さには耐え難いものがある。
素晴らしく自由で創造的な音楽を聴いてるはずなのに、なぜそれについてそんなにつまらない文章を書いて平気なのか、と素朴に昔からずっと不思議でならなかったし、今も謎のまま。
https://x.com/rhyminaiueo/status/2057049586179678457

上のポストには、以下のようなリプが寄せられました。

むしろ批評なのにクリエイティブにいきすぎて、音楽・楽曲から乖離、なんならちゃんと聴いてます??てなってるものが多い気がします。
https://x.com/culta231551/status/2057143525914165422

音楽評論家の一部が書いた地に足が付いていない、音楽の魅力を伝えられていない文章は、おもしろくないのだと指摘されています。

彼らは時々自分の意見がおもしろいと言いますが、その言葉は額面通りに受け取られなくなってきています。

彼らの自己評価と読者の受け取り方の間に距離はないでしょうか。

そんな状況が極まった今、今回山口一郎氏から今の音楽ジャーナリズムが機能していないと指摘されたのは、望ましい方向に変わる良いきっかけになったかもしれません。

そんな現状に危機感を覚えている音楽評論家もいると思います。

 

第21章 私が最も伝えたいこと

先程述べた様々な外的環境の変化によって、現代は音楽評論家にとってディストピアになりつつあります。

加えて今どきは音楽評論家と同等か、それ以上に詳しい素人も珍しくありません。

そんな中で音楽評論家が昔のようにあこがれられる存在になったり、尊敬を集めるのは容易なことではありません。

私が音楽評論家に期待したいのは、見識と目利き能力をしっかりエンターテインメントとして表現すること。

この人ならこの曲をどのように評価するだろうと思わせるような。

見識と目利き能力は、音楽に詳しいことと比例しません。

本来音楽評論家は、自分の見識と目利き力を売る仕事ではないでしょうか。

そして私が不満を抱えたSNSの音楽垢の方に、衷心からお伝えしたいこと。

音楽評論家に不満があっても、罵倒にならないよう言葉を選んだり丁寧に説明するだけで、健全な批判になるかもしれません。

そして信頼できる音楽評論家を見つけたら、擁護し支援し守っていく。

音楽ジャーナリズムが機能しない罵詈雑言ばかりの世界は、私にとってもディストピアです。

我ながら何を偉そうにと思いますし、気分を害した方がいたら申し訳ありません。

 

第22章 その中で私はどういう活動をしていきたいか

最後に音楽評論家ではない、素人である私の発信スタンスについて書きたいと思います。

ここまで書いておいてなんですが、私自身は批評を書きたいとも書けるとも思いません。

私はDJをやっていたこともあり、自分が良いと信じる曲を発信できれば大体それで満足です。

昔から私は良い曲を見つけたら、音楽仲間にそれを伝えたがる人でした。

DJとSNSの発信もその延長にすぎません。

ただ曲を発信してもそれほど注目を浴びませんし、インプレッションやエンゲージメントも伸びにくいです。

マネタイズに直結しないので、音楽評論家は時々しか曲を発信していません。

冒頭で山口一郎氏が語っていた、売れていなくても良いアーティストを発掘し発信するのは、素人の草の根が有効な領域かもしれません。

少し前からXで海外の音楽ファンと交流する機会が増えたこともあって、最近私は日本の曲を発信するモチベーションが爆上がりしました。

私は様々なプラットフォームで、アーティストや曲の魅力を発信する人が増えてほしいと思っています。

 

第23章 私の活動まとめと1曲ご紹介

自分の発信しているプラットフォームとアカウントをご紹介いたします。

この記事は私のサブブログで、不定期で読み物色の強い内容を書いています。

その他に私は以下のプラットフォームで活動しています。

メインブログ:音楽鑑賞サブノート
※アーティストやジャンル毎に10曲単位で投稿

note:おとましぐら@良い曲を厳選して紹介
※1日2曲投稿

X:おとましぐら@音楽鑑賞サブノート(オトサブ)
※1日1曲投稿

今回の記事を読んで考え方が近いと思っていただけたり、音楽の好みが近い方はフォローをお願いいたします。

最後に1曲私の好きな曲をご紹介して、この長い記事を終えたいと思います

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